TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

ENGLISH

オペラを楽しむ

ウィーン・もう一つの顔

文・池内 紀

 ウィーンの朝は市内電車のにぶいひびきとともに始まる。巨大なブラシをつけた道路清掃車が辻々をまわっていく。どこからともなく焼きたてのパンの匂い。
 昼間、中心街を除いて通りは閑散としている。古典的な細長い顔の紳士がベンチで新聞を読んでいる。古風なカフェのテーブルでは着飾った老女のおしゃべり。若い母親がゆっくりとベビーカーを押していく。
 夕方、帰りを急ぐ人々でにぎわうのも、ほんのいっときのこと。九時すぎ、通りには人けがない。新聞社の帽子をかぶった売り子が何やら叫んでいる。やがてそれもとだえて、あとは死んだような静けさ─。
 だが、これはウィーンの一面であって、それも見せかけの一面である。ウィーンには、もう一つの顔がある。たとえば、静まり返った通りに、よく見ると半地下の店があって、弱々しいあかりが洩れている。ためしにドアを押して一歩踏みこむと、目を丸くするだろう。洞窟のように奥が深く、どのテーブルも客が鈴なり。声と笑いがもつれ合って、そのうちアコーディオンが鳴り出し、手拍子が起きたりする。

薄暮のウィーン市庁舎前の
クリスマスマーケット2009年撮影:N.Y.

夜のウィーン国立歌劇場(カールス・プラッツ側)
提供:オーストリア政府観光局
Austrian National Tourist Office / Viennaslide

 国立オペラ座恒例の舞踏会は有名だが、その手の舞踏会は無数にある。冬場の夜ふけから夜明けちかくまで、ちょっとしたレストランや居酒屋では、シュトラウスのオペレッタ『こうもり』に出てくる呑ん兵衛とそっくりなのが、少し足をふらつかせながら出入りしている。巷のロザリンデが四分の三拍子を口ずさんでいる。この時期、アマチュアのバンドは大忙しだ。歯の治療はヘタくそだが、ドラムをたたかせたらプロ並みといった歯科医がいる。
 モーツァルトは取り違えをモチーフにして『コジ・ファン・トゥッテ』をつくった。ザルツブルクからやってきた天才は、ウィーン人の好みを正確に見てとっていた。役をきめて演じる中から錯覚と偶然がかさなり、たのしい劇が進行する。ニセモノがホンモノを演じ、あるいはホンモノがニセモノになりすまし、しかもどちらもとても上手に演じるので、ますます事態がこんがらがってくる。
 それは『こうもり』でも、また『メリー・ウィドー』でも同じこと。ウィンナ・オペレッタの「金の時代」と「銀の時代」の代表作は、まるでふた子の兄弟のようによく似ている。大切なのは上手に役割を演じること。あざやかになりすますこと。とたんに退屈な日常が、にわかにはなやぎをおびてこないか。秘密がまじりこむと、どうして毎日がこんなにたのしくなるのだろう? ウィーンは「バロック都市」などといわれるが、この世を一つの劇場に見立てて、「人生は戯れ」と説いたバロック精神の伝統が、いまも色こく生きている。甘美なメロディーとシャレたセリフまわしを二本柱にするオペレッタがウィーンの専売特許になったのは、偶然ではないのである。
 よく知られたエピソードだが、1914年6月、セルビアの首都サライェボでオーストリア皇太子夫妻が暗殺されたとの一報がとどいたとき、当時のウィーン・フォルクスオパーの音楽監督は部下に言った。
 「ドアを閉めろ。さっそく新作にとりかかろう!」
 ウィーン人は何ごとであれ芝居めかしてしまうのが大好きなのだ。そして劇場のまわりには、おあつらえ向きの台本作者や腕達者な作曲家たちが控えていた。レハールは『メリー・ウィドー』をつくったが、戦意昂揚用のオペレッタ『一人でも』を作曲しているし、ライバルだったカルマンは大当りした『チャルダッシュ姫』の一方で、戦事供出PR用のオペレッタ『鉄に代えて金を』をつくっている。
ドイツ語圏随一の格式を誇る演劇の殿堂ブルク劇場
提供:オーストリア政府
観光局/Austrian National Tourist
Office / Gotschim

クラシックなカフェ
提供:オーストリア政府観光局
Austrian National Tourist Office / Horvath
  カラフルになった最近の
  ウィーン国立歌劇場
  チケット
 
 ウィーンが「音楽の都」であるのは、優れた音楽家をどっさり生み出したというだけではないだろう。どこであれ、また何であれ音楽が入ってくるということだ。国立ブルク劇場のレペルトワールには、ゲーテやレッシングの古典劇と並んで、ネストロイやライムントの芝居が入っている。その出し物には、必ず「歌入り三幕喜劇」などとあって、舞台の前方にオーケストラボックスがつくってある。そそっかしい人なら、まちがってオペラ座にきたと思うところだ。「ウィーン民衆劇」とよばれ、長い伝統をもち、レッキとしたセリフ劇にもかかわらず音楽なしには始まらず、セリフが急に歌になって劇をすすめていく。なんとも奇妙な芝居だが、誰も奇妙とは思わない。
 ここではまた音楽が音楽だけの世界にとどまらず、およそ予期しなかったところで音楽通と出くわすだろう。私はあるとき、ホテル前でタクシーをつかまえて「オペラ座まで」と伝えた。しばらく走ってからタクシーの運転手が振り向いた。
 「今夜、オペラ座に?」
 プリマドンナが急病につき代役が出る。けげんそうに首をかしげ、その全身が「おすすめでない」を告げていた。なるほど、運転手の見定めたとおりだった。
池内 紀(いけうち・おさむ)
1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者・エッセイスト。
主な著訳書『ウィーンの世紀末』『東京ひとり散歩』『祭りの季節』『カフカ短篇集』ゲーテ『ファウスト』。
山と温泉が好きで旅のエッセイも多い。