TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

私とオペラ
山本益博

私が初めて手に入れたオペラのレコードはプッチーニ『蝶々夫人』のハイライト盤でレナータ・テバルディの蝶々さんにカルロ・ベルゴンツィのピンカートン。中学3年生の時、当時「イタリア歌劇団」の来日公演の演目に『蝶々夫人』があり、その舞台をNHKテレビで見たのがきっかけだったと思う。今でも、蝶々さんの登場シーンの春爛漫の花が匂い立つような音楽を聴くたびに、オペラに夢中になっていた中学生の自分を思い出す。

にもかかわらず、オペラの舞台に接したのは、ずっとずっと後だった。10代の音楽少年はその後、料理、とりわけフランス料理に興味を持ちだし、25歳になってはじめてフランスへ出かけた。本物の最高が知りたかったから。年1回10年かけてフランスを一回りし、それから、イタリアへ初めて出かけた。ミラノの「スカラ座」では浅利慶太演出・林康子主演の『マダム・バタフライ』がかかっていたのだが、ここでスカラ座に出かけてしまうと、料理に気が入らなくなると、涙を呑んで諦めた。機が熟したのは、それから間もなく、1987年の2月だった。ミラノ「スカラ座」にヴェルディの『オテロ』がかかった。プラシド・ドミンゴのオテロ、ミレッラ・フレーニのデズデモーナ、レナート・ブルゾンのイヤーゴ、そして、カルロス・クライバー指揮、フランコ・ゼッフィレルリ演出というこれ以上は考えられないという豪華メンバー。私は1階平土間席後方で、背筋をピンと伸ばしながら、舞台半分、オーケストラピットのクライバー半分を、じっと見つめて聴き入った。クライバーが指揮台に上がり、一礼するや否や、振り向きざまに指揮棒を振りおろした。あの、出だしの怒涛の嵐の管弦楽と、ドミンゴのトランペットのような輝けるオテロの第1声は、いまだに耳の底に残っている。なんと、この日はヴェルディのオペラ『オテロ』初演200年目の当日というおまけまでついた舞台だった。これが、オペラの舞台の初体験だった。こうなると、オペラに病みつきである。世界各地、27か所のオペラハウスを廻り、いくつもの名舞台に接してきた。

このところは毎年、ニューヨークのメトロポリタンオペラへ仲間を誘っては出かけている。中学生の時に「オペラウィルス」にかかった私は、いま、レストランでの食事中にオペラの話題が出ようものなら、かつてのクライバーの『オテロ』『ラ・ボエーム』『ばらの騎士』の舞台の様子を語って、オペラウィルスをまき散らしている。

山本益博(やまもと ますひろ)

早稲田大学第二文学部卒業。卒論「桂文楽の世界」がそのまま出版され、評論家としての仕事をスタート。料理評論の傍ら、料理人とのコラボによるイヴェントも数多く企画。フランス政府より、2014年農事功労章オフィシエを受勲。音楽に関する著作は、「オペラの旅へようこそ」(NTTメディアスコープ)、「音楽で逢いましょう」(音楽之友社)、「ロマネ・コンティとモーツァルト」(ア・ターブル99)など。最新刊は「東京とんかつ会議」(ぴあ)。