TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

私とオペラ
コシノジュンコ

 私がオペラと出会うきっかけをくださったのは、三枝成彰さんですね。
 強く印象に残っているのは、五千人のコーラスで行われたオラトリオ「ヤマトタケル」(1990)です。一万人入る国技館で、半分がコーラス、半分がお客様でした。その中で歌うソリストの衣裳を手がけました。コーラスに埋もれないように、1mの台に乗って歌うソリストの高さにあわせて、まるでオブジェのように台まで含めた衣裳を作りました。真っ暗な中で始まると、すごく高い塔みたいな人がいるわけです。それに五千人ってすごいんです。ページをめくるだけでも、五千ページ分の音がします。歌う前にパチッと、小さなライトを点けると、その音が五千個です。もう、パァチィーンってすごいんです。
 そして二作品目となったのが、なかにし礼さんの『天国と地獄』(1990)です。なかにし礼さんとは、本当に古いお友だちでしたし、チラシデザインは宇野亜喜良さんが手がけてらして、仲の良い仲間で作ったという感じですね。
 私が衣裳を手がけたのは二度目でしたが、どちらかというと、主役より、変わった脇役の衣裳のほうが得意だな、と気づきました。ジュピターが変身するハエの衣裳があるんですが、ああいった特殊なものは、作っていておもしろかったですし、気に入っています。
 その後、『魔笛』や『ワカヒメ』を経て、いよいよ『蝶々夫人』(2002)と出会いました。これまでのオペラのお仕事の中で一番印象的なのは『蝶々夫人』ですね。今でも大好きなオペラです。
 指揮がチョン・ミョンフンさん、演出がロレンツォ・マリアーニさんで、日韓共催ワールドカップの年でした。ミョンフンさんはパリ国立歌劇場(オペラ・バスティーユ)の音楽監督でしたから、お忙しくて実現までに五年くらいかかったそうです。
 とある時に、ミョンフンさんに「私、合唱団に入ってるの」というお話をしたら、第九を振るから出ないか、とお誘いをいただいて。当時、料理研究家の小林カツ代さんが、神楽坂女声合唱団の団長を務めてらして、私も参加していました。そこで、第九のお話を合唱団へ持っていきました。ただ、第九はむずかしいですからね、国際フォーラムでの第九のコンサートの前座として、五曲くらいクリスマスキャロルを歌わせていただきました。
 その後、西本智実さんのコンサートへ行ったことをきっかけに、2011年に念願の第九を歌うことになりました。国際フォーラムで西本さんが振る四千人の第九に、山田邦子さんが団長をなさっているスター混声合唱団として、出演させていただいたんです。
 どれもすべてご縁なんです。ご縁でつながって、今があります。そこに、衣裳は昔から好きだという強い思いが加わって、本当によい仕事をさせていただいています。

コシノジュンコ(こしの じゅんこ)

1978年のパリコレクションを皮切りに世界各地でショウを開催。オペラでは1989年『平泉炎上』、2002年『蝶々夫人』等の衣裳デザインを手がける。ミュージカルの衣裳や花火のデザインのほか、近年は《DRUM TAO》の衣装デザインも手がけている。昨年は琳派400周年記念を祝し、国立京都博物館にて能とファッションのコラボレ-ションショウを開催した。