先入観や偏見はなかなか一朝一夕には無くならない。小中学生時代はミッチーこと三橋美智也さんの演歌を口ずさみ、思春期にはビートルズやベンチャーズのエレキギターに明け暮れていた私にとって、クラシック音楽やオペラは堅苦しくて近づきがたい存在だった。
それが30歳代になってがらりと変わった。
きっかけは「日本のクラシック音楽教育について特集記事を書いてほしい」というフランスの雑誌からの取材依頼だった。当時、フランスAFP通信東京支局の記者だった私は二つ返事で引き受けた。原稿料が破格だったからだ。ところがクラシックのクの字も知らなかった私にまともな取材が出来るわけがない。慌てて近所のレコード店に駆け込んで購入したのがベートーヴェンの交響曲一番から九番まで。クラシックならベートーヴェンだろうという単純な発想だった。聴いてみると案外悪くない。その後はモーツァルト、ヴィヴァルディ、バッハ、ハイドン、シューベルト、ショパン、ワーグナー、ブラームス、チャイコフスキー、マーラーと手当たり次第聴き続けた。なにしろ締切日との競争である。専門書も読み漁った。なんとか恥をかかずに著名な音楽家や評論家のインタビューを終えて特集記事を書き上げた頃には、私はすっかりクラシックファンになっていたのである。
オペラに関しては、音楽好きの妻に某女性歌手のリサイタルに連れて行かれたことがきっかけだった。前から3列目中央というプラチナ席に座ったところまではよかったのだが、夜勤明けで疲れていた私は2曲目すでにこっくりこっくりと居眠り。その姿を横目で見ていた妻は「これは世界一を聴かせないとだめだ」と思ったらしい。次に連れて行かれたのは世界3大テノールのひとりで絶好調だった頃のルチアーノ・パヴァロッティの公演。彼が十八番にしていたドニゼッティの歌劇『愛の妙薬』だった。地主の娘に一目ぼれした純朴な村の青年ネモリーノが、いかさま薬売りから偽の惚れ薬を売りつけられるお話だ。この歌声には自分でも驚くほど感動させられた。歌詞がまったく分からないのに胸が震えた。その日から私はオペラファンに大変身。夫婦でシーズンチケットを買うまでになった。幾世紀もの時を超えてクラシック芸術が輝きを失わないのはきっとこうした深い感動があるからだろう。インターネットの普及で手軽でバーチャルなモノが氾濫するようになった今の時代こそ、多くの人々に本物のクラシックの喜びを感じてもらいたい。セルバンテスは『ドン・キホーテ』の中でこう言っている。
「音楽のあるところに、悪は蔓延(はびこ)らない」
蟹瀬誠一(かにせ せいいち) 国際ジャーナリスト・キャスター、明治大学国際日本学部教授 |