オペラと筆者のお付き合いは、長くとれば、ほぼ半世紀。短めにとれば概ね四半世紀という感じだ。
初の生オペラ体験は、概ね9歳の時だった。演目は『ラインの黄金』。ロンドンに住んでいた時である。父親が、誰かからもらったチケットがあったらしい。ちょうど3枚あるというので、両親と筆者の家族三人で出かけた。これは大いなる間違いだった。子供をオペラに目覚めさせたいなら、『ラインの黄金』はいけない。もっとも、今なら、結構SF大スペクタクル風の仕立てがあるから、実は「指環」はむしろお子さんにお薦めの演目かもしれない。
だが、あの時の公演はひどかった。とても恰幅のいい人たちが、一様に茶色いズタ袋風の衣をまとって、ひたすら、ああでもない、こうでもないとうなり合っていた。動きが無い。当時のことだから、字幕も無い。あの時の苦痛は、今でもさっきのことのように思い出すことが出来る。
その時の深い反省もあってか、その後は、もっぱらプッチーニ・オペラにつれて行かれた。それはそれでまぁ良かったが、マリア・カラスの『蝶々夫人』には、はらわたが煮えくり返った。なんてひどい服装だ。これのどこが和服なの?ふざけるな!次にオペラを見に行く時は、絶対に着物を着ていくぞ!その場でそう誓った。実際にそうした。その時の出し物は蝶々さんではなかったが、結構、注目を浴びて気分が良かった。御年、概ね10歳。
プッチーニ話の続きでいえば、やはり半世紀前のロンドン時代に、『トスカ』の英語上演があった。イングリッシュ・ナショナル・オペラの出し物だった。ご存知の通り、彼らは全てのオペラを英語で歌う。10歳前後の少女にとっては、これがどうしても笑えてしまった。イタリア語なら、全てが音楽的で情熱的に聞こえる。ところが、英語になると、「これが鍵だ!」とか、「これが扇子だ!」などと歌い上げることになる。何とも、散文的で身も蓋もない。
かくして、半世紀前のオペラと筆者の出会いには、何かとギクシャクが多かった。その後、概して疎遠となっていたオペラとの再会が、1990年代にやって来た。今度は、自分の仕事で再び英国在住となった。そして、三大テノールの初コンサートに行った。皆さん良くご存知のローマ公演だ。それにエキサイトして、オペラとともに生きる人生が再スタートを切った。いまや、『ラインの黄金』も概して苦痛なく見通すことが出来る。基本的にはヴェルディ党だが、ワーグナー先生も、時として、敵ながらあっぱれ。とはいえ、来年の2月はやっぱり『リゴレット』に行きます。
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浜 矩子(はま のりこ) 同志社大学大学院ビジネス研究科教授。エコノミスト。 |