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オペラを楽しむ

私とオペラ
茂木 健一郎

 私とオペラの出会いは、ちょっと普通ではない形をとった。中学までは田舎で、高校から、いきなり東京の山の手に行った。二年の時に、同じクラスの畏友が、オペラの演出をするという。私たちの高校は変わっていて、当時、毎年の文化祭でオペラを上演していたのである。オーケストラも合唱も、そしてソリストたちもすべて自分たちでやるというのだから、高校生としてはかなり頑張っていたと言えるだろう。
 その年の作品は、ウェーバーの『魔弾の射手』だった。畏友に誘われて、私も、照明を手伝うことになった。ところが、私はその時点でオペラを見たことがなく、いきなり練習に望んだのである。アガーテが出てきて、赤や緑の原色の照明を当てていたら、合唱の女の子が、「茂木くん、本番でもあの光を使う気ではないでしょうね」と文句を言いに来た。それで、自分がどうやら勘違いしていたらしいということにやっと気づいた。
 畏友に、「実はオペラというものを見たことがないんだ」と告白した。しょうがないな、という顔で、ウィーン国立歌劇場か何かの来日公演のパンフレットを持ってきてくれた。確か『薔薇の騎士』か何かだったと思う。その舞台写真を見て、私は青ざめた。自分の愚かさを、一瞬にして悟ったのである。
 今では、国内外で多くのオペラ体験をして、いっぱしのオペラ通のような顔をしているけれども、青春のあの頃を思い出すと恥ずかしい。同時に、あのようなかたちで入ったことは、人生の一つの僥倖だったようにも思う。
 最初のオペラ体験が、いきなり上演する側というのは、そうはない「ビギナーズ・ラック」ではないかと思う。文化祭本番、上演を無事終えた時の感激と興奮は、今でも忘れることはできない。オペラは、見るのも良いが、自分たちでやるのはさらに素晴らしいということを体感できた。
 初めて見たプロのオペラは、結局、大学に入った頃に来日したドレスデン・オペラの『魔弾の射手』だったのではないかと思う。ライナー・ゴールトベルクがマックスだった。歌いながら、ゆらゆら揺れていたのをよく覚えている。
 そんなスタートだったから、二期会の公演に行っても、ついつい、上演する側の苦労をいろいろ想像してしまう。日本にオペラという文化を根付かせるために、いかに多くの人が努力し、挑戦し続けていることか。本当に頭が下がる。オペラに初めて出会った高校の日々の感激がよみがえってくる。
茂木 健一郎 (もぎ・けんいちろう)
脳科学者。意識の中で感じられる質感「クオリア」を鍵として、脳とこころの関係を研究している。
文中に出てくる「高校」は、東京学芸大学附属高校であり、「畏友」とは和仁陽氏である。好きなオペラ作曲家は、ワーグナー。
『ジークフリート』第3幕のブリュンヒルデとの二重唱が、ワーグナーの音楽の頂点だと考えている。


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