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オペラを楽しむ

私とオペラ
「NYと私の歌人生」
湯浅 卓

 ニューヨークのウォール街での常識は、次の質疑に集約される。
「ニューヨークの観客が、最も着飾って出かける機会は何か?」
「答えは、メトのオペラ・ハウス」
 すなわち、オペラ観劇こそ、ニューヨークの社交の花である。
 私は、かつて、ニューヨークの象徴ロックフェラー・センターを日本側へ売却する取引において、ロックフェラー・グループをアドバイスする中枢弁護士メンバーの一員であった。そのため、ロックフェラー家との関係の長いメトロポリタン・オペラやリンカーン・センターには、よく通ってきた。
 私が、ウォール街にヘッド・ハントされるより前の法律オフィスの同僚が、華麗なスリー・テナーズの初めの担当指揮者のいとこだったので、天才テノールたちの迫力あるパフォーマンスにも身近に接した。
 私個人の音楽体験で言えば、高校生だった昔が想起される。麻布高校時代、当時の音楽の先生に、テノール声楽家と音大のセロ科の教授がいらしたので、音楽的環境には恵まれていた。しかし、何といっても、高校一年から、三年生まで、ずっと毎週土曜日の放課後、声楽の個人レッスンに私が通ったことこそ、私の人生の一大事だった。その先生は、ベテランのソプラノ声楽家の方で、月に4回のレッスン時間は、毎回3時間30分から4時間だった。発声法、オペラ、ドイツ歌曲、イタリア歌曲を教わった。同時期、ドイツ語とイタリア語の発音も学んだ。オペラ鑑賞にも通った。
 大胆にも、私は、受験勉強時間の3倍は、高校時代を通して、声楽の練習時間にあてた。私は、個人レッスンで学んだことは、全て記憶し、家に戻ってから、きまって、ノートにつけて、レッスン通りの練習を、毎日くり返した。
 私が国際弁護士となったあと、ニューヨークのある大学の教育学部の卒業記念パーティに招かれて、ピアノ伴奏で歌った折、人生で最大級の拍手を浴びた。録音をくれたので、西海岸に出張の折、聴いてみた。偶然近くで、それを耳にしたスタンフォード大学の科学者が、ほめてくれた。彼に、なぜ大拍手を受けたのか?尋ねた。彼は、「それは、君の歌の中に、君の勇敢さが表現されているからだ」と即答してくれた。つまり湯浅キャラの誕生だ。
湯浅 卓(ゆあさ・たかし)
◎国際弁護士。
麻布中学・高校を経て東京大学法学部卒業後、UCLA、コロンビア及びハーバードの各法律大学院に学ぶ。
国際弁護士としての専門分野は、ウォール街の銀行法及びIT法の二つであるが、同時にウォール街のワシントン担当の実務も行っている。
日本では、数多くのバラエティ番組で活躍。


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