TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

私とオペラ
「極上のリゾート」
香山リカ


 好きな音楽は、ときかれると、いつも「クラシック系のいわゆる現代音楽、電子系ポップス、それとブラジル音楽」と答えてきた。クラシックは子どもの頃からなじんできたつもりなのだが、モーツァルト、ベートーヴェンといった“王道”がなぜか肌にあわない。「私は音楽の趣味に関しては少数派なのだ」と勝手に思い込んでいた。

 その先入観をくつがえすできごとがあったのが、今から十数年前のニューヨーク。父との旅行で、メトロポリタン歌劇場に出かけることになった。音楽好きの父親のためのサービスだったのだが、父自身もオペラよりオーケストラファン。お互い「楽しめるかな」と半信半疑のまま、劇場のゲートをくぐったのだ。

 演目はこれまた王道中の王道、『トスカ』。カヴァラドッシはパヴァロッティが演じることになっていたが、「キャンセルの王様」の異名を取るパヴァロッティのことだからその日もどうなるかわからない、といった噂も聞いていた。

 そして、開幕。政治犯アンジェロッティが登場し、事のなりゆきを語り始める。しばらくして、それまで後ろ向きに絵筆を滑らせていた画家が、パッとこちらを向いた。

 おお、パヴァロッティだ! キャスティングされていた歌い手が予定通りに舞台にいただけなのに、「彼がそこにいる」というだけで、場内はどよめき、拍手喝采。もちろん、私も父もその興奮の輪の中に取り込まれていた。

 ということで、トスカが城壁から身を投げることを暗示したラストまで、日本からやって来た老いた父親と年増の娘は、息つく間もなく舞台に集中したのだった。「百聞は一見にしかず、とはまさにこのことだねえ」と父親はため息をつき、「無調音楽以外は聴く気にならないな」などとうそぶいていたはずの私も、「うんうん」とうなずいた。

 それからというもの、機会があればオペラに出かけている。むずかしいことは抜きにして、人間の極限を超えた声量、高音、低音で心を解放し、豪華なセットや衣装に夢心地。オペラは私にとって、まさに極上のリゾートといえる。とはいえ、私はいまだに「好きな音楽は電子系で…」などと少数派を気取っている関係上、ちょっとコソコソしてしまうのが自分でも悲しい。いつか、「私が好きなのは、オペラです。しかも、王道中の王道の演目が!」と素直に堂々と言える日がやって来ることを、心から願っている。

香山リカ(かやま・りか)
◎精神科医・立教大学現代心理学部教授。1960年7月1日北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、新聞、雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学。「女はみんな「うつ」になる」など著書多数。