TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

オペラって…
「私とオペラ」
樋口裕一


 わが人生を振り返るに、まるでオペラの神様に導かれた人生だったかのような気がする。

 私がクラシック音楽ファンになったのは、小学校の音楽鑑賞の時間に聴いた「ウィリアム・テル」序曲。言うまでもなくオペラの序曲だ。しかも、私に大きな影響を与えてくれた担任の先生は「立川澄人(後に清登と改名。当時、オペラ界のみならず歌謡界の大スターだった!)は友人だったが、私のほうが歌がうまかった」と豪語して、見事な歌をしばしば聞かせてくれた。そして、私の通った大分大学付属小学校の校歌は立川澄人作曲。

 校歌といえば、高校生のころ、中山悌一作曲の校歌を歌わされた。私の進んだ大分上野丘高校は二期会の創設者の一人中山悌一、そして現常務理事・中山欽吾氏の母校だった!

 中学生のころ、フルトヴェングラー指揮の『フィデリオ』全曲盤を買ったのを最初に、ワーグナーやR・シュトラウスのオペラの全曲盤を夢中で聴いていたが、最初にナマのオペラを見たのは、私が高校生のころに開かれた第一回大分県民オペラ『フィガロの結婚』だった。フィガロを立川澄人が演じ、ほかは大分在住の声楽関係者が務めた。レコード店と懇意にしていた私は、友人たちにチケットを売り捌き、私自身は招待券をもらった。つまり、初めてチケットを売ったのも、初めて招待券をもらったのも、オペラだったというわけだ! 不満の多い舞台ながら、とりあえずナマのオペラに感動したのを覚えている。

 そして、私を決定的にオペラの虜にしたのが、東京に出て接した若き飯守泰次郎指揮の『ワルキューレ』二期会公演だった。その後、食べるお金に事欠く時代にも、オペラには行った。1歳前の息子が大手術を受ける日、外来オペラの公演日と重なっていた。私は当然オペラに行くつもりだったが、妻があまりに怒るので泣く泣く諦めたのを覚えている。周囲への迷惑も顧みず、バイロイトやザルツブルクの音楽祭にも何度か出かけた。

 高校生のころから世界文学や思想に関心を持ち、その方向の勉強をして、現在の仕事に結びついている。世界文学に関心を持つきっかけになったのも、すべてオペラだった。オペラの原作を読み、関連する本を読んでいるうちに関心が広がった。現在の私を作ったのは音楽、とりわけオペラだといって、間違いない。

 オペラを広めるために微力ながら力を尽くしたいと思っている。それこそが、私を育ててくれたオペラに対して私のできるたった一つの恩返しなのだから。

樋口裕一(ひぐち・ゆういち)
◎1951年大分県生まれ。多摩大学経営情報学部教授。250万部のベストセラーになった『頭がいい人、悪い人の話し方』のほか、音楽関係の著書に『笑えるクラシック』『頭がよくなるクラシック』『頭がよくなるオペラ』などがある。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(『熱狂の日音楽祭』)のアンバサダーを務めている。