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オペラを楽しむ

オペラって…
「鳥肌の立つ思い」
デヴィ スカルノ


 私がニューヨークのイブラ(音楽)財団の名誉会長として、オペラ歌手とコンサートピアニストを陰ながら応援していることを知っている人は少ない。すでに17年経っている。イタリーはシチリア島、ローマ帝国時代の首都イブラにおいて毎年6月末から7月初めにかけて“イブラ・グランド・プライズ”というコンクールを開催している。世界中から200余名のコンテスタントが集まり、春には入賞者達のためにニューヨークのカーネギー・ホール、リンカーン・センター、国連のダグラス・ハマーショールド・ホールやニューヨーク大学のカサ・イタリア等でコンサートを開き、1年間育成に力を入れている。
 私がなぜイブラ財団を支援しているか。それは1970年代パリに住んでいた頃のことである。或る夜、とあるパリ郊外のオーベルジュで素晴らしいソプラノに出会った。鳥肌の立つ思いであった。びっくりした私は、彼女をテーブルに呼び、「あなたのように素晴らしいソプラノがどうしてこんな所で歌っているのですか」ときくと、両眼からポロポロと涙を流し、「私はとても貧しくどこのコンサバトリーでも学べず、どこのコンクールにも旅費がなくて行けず、どんな教授にも会う機会に恵まれず今日まできてしまいました。私にとって歌うことは命です。故にこんなしがない所で歌っているのです」と答えた。私は彼女の話に耳を傾けながら、幼い頃、ドラマティックなオペラ歌手に憧れていた私と重ねあわせていた。
 イブラ財団は、伝統と長い歴史を持つ財団ではないが、世界の埋もれた才能を発掘し、世に紹介することに稀な貢献をしていることを誇りとしている。その特徴は、年齢を問わない、どこのコンサバトリーを卒業したか問わない、どの教授の推薦状もいらない。今日現在その人の芸術的才能だけでみる、ということである。
 マエストロ・マルチェロ・アバド氏を審査委員長とし、毎年14人の審査員の半分を変えている。ニューヨークのコンサートの後、2年にわたって2回ほど私は東京オペラシティ コンサートホール タケミツ メモリアルで15名の入賞者のためにコンサートを開いた。無名の歌手やピアニスト達のチケットなど売れるはずもない! しかし、出演者にとって、一番嬉しいことは万雷の拍手である。故に私はお金を払って集客をし、1632席を満席にした。かかった費用は飛行機代、宿泊費、会場費、そのほかで1500万円程×2回で3000万円余。
 3年後、税務署が来た。私のしたことは趣味であり、道楽である。イコール贈与なのである、ということで、100%の税金が掛かってきた。営利を目的にしたものであるなら、毎年どんな赤字を出してもすべて経費となるが、慈善は経費とはならないとその時知らされた。
 「それでは、日本では文化は育たないですね。私のような人間がしなくて誰がするんですか」と怒った。それ以後、私は上記のホールでコンサートを開けないでいる。
 日本では、オペラを好きだともっともらしいうんちくを述べる人でも、ソプラノ歌手にブラボーとスタンディングオベーションする田舎っぺがほとんどだ。女性詞はブラバーであるのにも関わらず、ブラビーの使い方も知らない。何と寂しいことだろう。
デヴィ スカルノ
◎東京都出身。1959年9月インドネシアに渡り、同年11月結婚、大統領夫人となる。1980年ニューヨークで Ibra(イブラ)音楽財団を設立し現在名誉会長を勤める。タレント活動開始後、数多くのテレビに出演し、ショーを3回、NHKホールにて朗読、ナレーションなども経験。国内外のチャリティー活動にも多数参加している。