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オペラを楽しむ

「オペラの楽しみ」 室田尚子

第13回「なぜ? どうして? オペラあんな話こんな話 その3」
『蝶々夫人』
 プッチーニの『蝶々夫人』は、東京二期会のレパートリーの中でも定番度、安定度、集客度などすべての面でピカイチのプロダクション。そもそもこのオペラ自体、日本を舞台にしていることもあって、私たち日本人にはことのほかなじみ深い作品です。けれどもちょっと待って!ここで描かれている日本にはどこかヘンなところも。そして恋愛物語や女性観にも少々アブナイ要素がある…かもしれません。

エキゾチック・ジャパン?!


東京二期会オペラ劇場『蝶々夫人』2006年7月 東京文化会館大ホール 
指揮:ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ 演出:栗山昌良
蝶々さん(大山亜紀子) ピンカートン(山田精一) シャープレス(泉良平) ゴロー(羽山晃生) ヤマドリ(青山貴) ボンゾ(峰茂樹)
撮影:鍔山英次
 『蝶々夫人』の原作となったルーサー・ロングの小説は、一八九五年(明治二八年)頃の長崎を舞台としています。ヨーロッパではまさに世紀末文化華やかなりし頃で、特に東洋的なものをもてはやす「エキゾティシズム(異国趣味)」が、音楽や美術など芸術全般にわたって大流行していた時代でした。エキゾティシズムの中でも注目されていたのが、他ならぬ日本。
日本の浮世絵が好事家たちの間で先を争って収集され、「まだ見ぬ異国ニッポン」は憧れの対象となっていたことは、以前のこのコーナーでもご紹介しました。作曲者のプッチーニが、物語のオペラ化にあたってこうした「ジャポニスム(日本趣味)」の影響を計算にいれなかったわけはありませんが、そこは十九世紀のこと、やはり描かれた「ニッポン」には「トンデモ」な点もいくつか見受けられます。
『蝶々夫人』最大のトンデモが、主人公蝶々さんの伯父であるボンゾの存在。僧侶=お坊さんだから「ボンゾ」というネーミングからして既にヤっちゃったパターンです(笑)。実は蝶々さんは、アメリカ人であるピンカートンと結婚するためにキリスト教に改宗しているのですが、ボンゾ伯父さんはこれに激怒、結婚式の真っ最中に怒鳴り込んで来ます。この登場場面、タム・タムと弦楽器のトレモロが大音量で鳴り響き、聴きようによってはマンガチックともいえるシーンです。
カラヤン指揮・ポネル演出の映画では、このボンゾがあり得ない歌舞伎メイクで登場するという大爆笑シーンとなっていました。ご興味がおありの方、DVDが出ていますのでどうぞその目でご確認ください。




蝶々さんの悲劇


健気にピンカートンの帰りを待つ蝶々さんの家へ、お金持ちのヤマドリが求愛にやって来る。周囲は“ 生活のために”ヤマドリとの結婚を薦めるが、蝶々さんは耳を貸さない。
 そもそも主人公蝶々さんの年齢をご存知でしょうか。ピンカートンと結婚(といっても正式な手続きではなく一種の「現地妻」契約)した時、彼女はなんと十五歳。現代で言えば中学三年生の立派な淫行条例対象年齢です。対するピンカートンが何歳かはわかりませんが、海軍士官の風貌やその立ち居振る舞いからみても、二十代半ばぐらい、おそらく蝶々さんとは十歳ほどは離れているのではないでしょうか。うーむ、これは、ピンカートンさん、ロリコン疑惑発生ですね。もちろん、時代背景や文化的背景が現代とはまったく違いますから一概には決めつけられませんが、しかしこの物語には確かに、「男性=西洋=強者/女性=東洋=弱者」と いう図式があります。
 そもそも、国力も富も勝っていた当時のアメリカ=「西洋」の「男」が、日本=「東洋」の「女」を金の力で現地妻にし、その後いとも簡単に捨て去っていく、というところに『蝶々夫人』の悲劇の核心はあります。そしてこの悲劇は、十九世紀末のオペラの中だけのお話ではなく、現代の現実の社会でもいまだに続いています。日本では馴染みが薄いですが、欧米では性的嗜好のひとつとして「アジアンフェチ(アジア人を好む傾向のこと)」というジャンルがありますし、日本でもアニメやマンガのマーケットでは大人の女性よりは幼い少女を思わせる登場人物に人気が集中しています。私が『蝶々夫人』というオペラを観る時に、いつもある種の居心地の悪さを感じるのは、やはりこうした現代的な男女関係の問題をいやが上にも思い出してしまうからなのです。
 とはいっても、作曲者のプッチーニにしてみれば「そこまでは責任持てません」というところでしょう。プッチーニは蝶々さんというキャラクターをことのほか愛していたといいますが、それは彼女が日本人だったからではなく、その純情さと薄幸さがまさにプッチーニの好みにマッチしていたからだといわれています。確かに、『蝶々夫人』というオペラの中では、有名な「ある晴れた日に」をはじめとして、蝶々さんの歌う曲(ソロでも重唱でも)には常にロマンティックで魅力的 なメロディがつけられています。だから、オペラ自体に居心地の悪さを感じながらも、蝶々さんの愛の一途さ には心を打たれ、その悲しい運命には涙を禁じ得ないのです。またピンカートンという男性も、決して女性をモノのように扱う極悪非道の男ではなく、特に第二幕では人としての弱さやとまどいもみせる人間臭い人物です。
 ピンカートンに対しては「女の純情踏みにじるな!」と、まるでボンゾ伯父さんのように(苦笑)怒り狂いながら、またひとりの女性としては蝶々 さんに「男に人生賭けちゃダメだよ」とお説教をしたくなる。『蝶々夫人』とは、人間としての生き方について思わず熱く語りたくなるような、とても濃い人間ドラマとしての一面もあり、またそこが大きな魅力のひとつといえるでしょう。