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オペラを楽しむ

『天国と地獄』に期待する!
田辺秀樹


今、オペラの演出では「現代化」とか「大胆な読み替え」とやらが流行で、「これじゃほとんどパロディ」といった感じのモーツァルトやワーグナーのオペラ上演を見せられることが多い。思うに、すでに何度も死を宣告されながらしぶとく過去の遺産で食いつないでいるオペラというジャンルは、マンネリズムの閉塞感のなかで、ともすれば刺激的なスパイスとしての自虐的なパロディに傾きがちなのだろう。
 ヘンデルのオペラをおちょくったゲイの『乞食オペラ』、モーツァルトやサリエリが書いた〈楽屋落ち歌劇〉(オペラについてのオペラ)、19世紀ウィーンの喜劇作家ネストロイと作曲家カール・ビンダーによるタンホイザー・パロディ、20世紀初頭のオスカー・シュトラウス作曲による『愉快なニーベルンゲン』、R・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』や『カプリッチョ』、ブレヒトとヴァイルのコンビによる『三文オペラ』……。パロディ・オペラ、もしくはパロディ的要素をもつオペラ作品は枚挙にいとまがない。モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』第2幕の晩餐の場面で同時代のオペラ作曲家による曲や自作のオペラの曲を引用したりしたのも、パロディ志向のあらわれだろう。
 しかし、パロディ・オペラといえば、代表作はなんといってもオッフェンバックの『天国と地獄』だ。オペレッタの父オッフェンバックが、19世紀中頃のパリで大ヒットさせたこの破天荒な傑作の原題は「地獄のオルフェ」。パロられているのはギリシャ神話でおなじみのオルフェオ伝説だ。歌人オルフェオが死んだ愛妻エウリディーチェを連れ戻そうと冥界に下るものの、地上に着くまでは後に従う妻をふり向いてはならぬという禁則をまもりきれなかったという、あの話。モンテヴェルディやグルックをはじめとして、オペラ史のなかで多くの作曲家たちによって取り上げられた定番中の定番だ。オッフェンバックと彼の台本作者たちは、この悲しくもうるわしい夫婦愛の物語を完膚無きまでにパロディ化した。オルフェウスはヴァイオリンを教える音楽院の教授で俗物そのもの(なんだか「のだめ」っぽい?)。彼とその妻ユーリディスの夫婦は倦怠期の真っ最中で、どちらも浮気のチャンスを窺っている。妻が死んでオルフェウスは「ラッキー!」と大喜びするが、口うるさい「世論」が現れて説教するため、いやいやながら冥界におもむく……。作者たちは、地獄(冥界)だけでなく天国(オリンポスの神々の世界)も盛り込んだ。だらけきった天国では、神々の長ジュピターがその好色ぶりと指導力のなさゆえに権威を失い、神々や女神たちから「革命」を起こされる体たらく。あげくの果てにはジュピターをはじめオリンポスの神々全員も、オルフェウスと一緒に地獄をめざしてレッツ・ゴーと相成る。そしてその地獄はといえば、ここも色恋と酒、そして破廉恥ダンスの乱痴気パーティーにウツツを抜かすトンデモ世界なのだ。 
 初演当時のフランスの政情や世相を辛辣に風刺した『天国と地獄』には、時代と場所が変われば効力を失う当てこすりやギャグも少なくないだろう。パロディを楽しむためには本歌(もとうた)を知っている必要があるし(『天国と地獄』の場合はグルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ』)、風刺で笑うには背景の事情を理解していなくてはならない。パロディとか風刺とかは、その点でちょっとやっかいなシロモノなのだ。しかし、その辺の困難は、経験豊かな演出家の創意工夫と歌手陣の旺盛なコメディアン魂がきっと克服してくれるだろう。
 時代や場所が変わっても、人間のやることにそれほど変化があるとは思えない。いつの世でも長期政権は腐敗し、悪徳は栄え、我々はあい変わらず好色で自堕落で、臆病で愚かだ。浮気や離婚は日常茶飯事。セクハラや不祥事も後を絶たない。新聞や週刊誌やテレビのワイドショーで「世論」が声をあげても、鈍感力の首相はカエルの面になんとやら。いまこそ『天国と地獄』で辛辣にして痛快なパロディの笑いをたっぷりカマしてほしい。あの大詰めでのカンカン踊りのドンチャン騒ぎが最高に盛り上がるためにも!
田辺秀樹(たなべ・ひでき)
◎1948年東京生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科教授(ドイツ語・音楽文化論担当)。著書に『モーツァルト』(新潮文庫)、『モーツァルト、16の扉』(小学館)、『やさしく歌えるドイツ語のうた』(NHK出版)、訳書に『キャバレーの文化史』[共訳](ありな書房)、『グルダの真実』(洋泉社)、『オペラ対訳《ばらの騎士》』(音楽之友社)ほか。
     
1981年11月1〜5日(日生劇場) 12月6日(神奈川県民ホール) 1983年7月21〜23日(新宿文化センター) 二期会公演『天国と地獄』
指揮:佐藤功太郎 演出:なかにし礼 萩本欽一 振付:小井戸秀宅  装置:朝倉摂 衣裳:コシノ・ジュンコ 撮影:鍔山英次