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オペラを楽しむ

東京二期会『蝶々夫人』列伝抄
栗山昌良


川崎靜子
栗本尊子
松内和子
大熊文子、伊藤京子、柴田喜代子、毛利純子、阿部容子、髙木鳰子、片岡啓子、中澤桂、島崎智子、川原敦子、大倉由紀枝、木下美穂子、腰越満美、大山亜紀子…小生が東京二期会でお手合わせした蝶々さんです。いずれが菖蒲か杜若!小生の〝蝶々さん〞初演出は1957年、1952年二期会創立から5年後、31才、12月から翌年1月に掛けての公演でした。
 大熊さんは先輩。伊藤、柴田のご両人は同世代。皆さん多分初役だったと思いますがスズキがオソロシイ!川崎靜子、栗本尊子そして後年吾が伴侶となる松内和子。この3人既にスズキを藤原歌劇団等でレパートリーとしている面々です。中でも川崎さんはスカッとした気性で姉御肌の熟女、思った事は歯に衣を着せずに遠慮会釈の無い発言。〝あら、此処出なくていいの!?〞〝そんなことするの?おかしいの!へえー!〞等々明るい美声でおおらかにのたもうのです。プッチーニは初めての若輩の小生、楽譜面でのプランでは万全を期したつもりでも、つい煽られて自信喪失…栗本さんも口には出さない乍ら美しい大きな眼が冷たく、また松内も2人の尻馬に乗ったか、白々しい風情。初演出は3人のスズキにおびやかされたのでした。お姉さま方に囲まれた、未婚の男の不甲斐なさ!然し女性のオソロシさを身をもって体験し、あれ以来女性に強くなった?のでした。伊藤京子、栗本尊子ご両人の舞台ほど観る人聴く人に感銘感動をもたらし続けた舞台はないでしょう!日本人でありサムライの心を描き尽くした蝶々さんとスズキ、海外での公演があったなら、世界の人々に、作品の真の心を生かした舞台と、評価されたことでしょう。声の上では必ずしも適役とはいわれぬお京さん、然しその表現力は、細部に渉って行き届いた技をみせ、見事でした。また、蝶々さんを支える、お たか さんのスズキの、情の籠った実のある名演技!主役脇役、みごと息が合っての舞台でした。この頃より、オペラの歌手たちが、真に身体表現力の大切さを意識し始めた──と理解して云いでしょう。二期会オペラの第2幕が始まりました。
 当時、二期会オペラの指揮の多くは、森正先輩によって支えられていました。この頃までの方々は皆、森さんによって鍛えられて来た、といって過言ではないでしょう。二期会オペラの発展時、『カルメン』『蝶々夫人』『椿姫』『蝙蝠』、そして『ピーター・グライムス』などの現代オペラの数々は、皆、森さんあって上演され得たのでした。今のように安直?に横文字の指揮者を呼ぶ事のない時代でした。われら日本のオペラは、二期会オペラの展開が、その発展に大きく関わってきました。
 その質の向上は勿論ですが、アンサンブルの良さが、大きな特徴となり、巷間の信頼を得たといって良いでしょう。『蝶々夫人』は、『カルメン』『椿姫』等と共に、二期会の、半世紀を越えた舞台です。その特質は、優れたアンサンブルにあります。この事は新国立劇場の10年を見ても分かる事と思います。
 中澤桂さん達の〝蝶々さん〞も忘れ難い舞台でした。あんなに客席の人々を、泣かせ続けた蝶々さんは無かったでしょう。この時代、オペラは、全国津々浦々──といってよい程の、旅公演がありました。その演目の中でも『蝶々夫人』は、『カルメン』と共に、もっとも上演回数の多かった演目でした。今の時代、大変動の中での日本オペラ、二期会オペラもまた、大きな転換期を迎えています。二期会2009年の『蝶々夫人』は、また新たな〝蝶々さん〞を加えて、新しい時代へと力強い歩みを踏み始めます。
栗山昌良(くりやままさよし)
◎半世紀に亘り、演劇・オペラの演出を手掛け、二期会をはじめ各地のオペラ創造に貢献。文化庁主催の移動芸術祭、青少年芸術劇場、こども芸術劇場(文化庁・本物の舞台芸術体験事業)では、栗山演出『カルメン』『椿姫』『蝶々夫人』『ヘンゼルとグレーテル』が長年上演された。87年紫綬褒章、96年叙勲、08年文化功労者。
     
左から
東京二期会オペラ劇場『蝶々夫人』2006年7月東京文化会館/指揮:ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ 演出:栗山昌良
蝶々さん:木下美穂子

文化庁助成『蝶々夫人』1984年11月日生劇場/指揮:森正 演出・舞台美術:栗山昌良
蝶々さん:中澤桂 ※写真右隣も同じ

青少年芸術劇場文化庁主催『蝶々夫人』1973年8月堺市民会館/指揮:森正 演出:栗山昌良
蝶々さん:伊藤京子