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沼尻竜典
「シュトラウス指揮者」、沼尻竜典が二期会で『カプリッチョ』
文・池田卓夫


日本の
中堅世代を代表するマエストロの1人、沼尻竜典さんが11月、東京・日生劇場で今年が没後60周年に当たるドイツの作曲家で指揮者、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のオペラ『カプリッチョ』を指揮する。東京二期会主催、日生劇場[(財)ニッセイ文化振興財団]共催の公演を振るのは2003年11月のベルク『ルル』(チェルハ補筆3幕完成版)以来6年ぶり。滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの芸術監督として昨年、『ばらの騎士』(神奈川県民ホールとの共同制作)、『サロメ』(リスボン・サンカルロス劇場との共同制作)と2つのオペラを手がけ、日本オペラ界きっての「シュトラウス指揮者」として評価を高めつつある沼尻さんだけに、『カプリッチョ』でも公演成功の鍵を握ると目されている。真夏の新国立劇場で「高校生のためのオペラ教室『トスカ』」の稽古で忙しい日程の合間を縫い、マエストロに劇場内でのインタビューを試みた。
─今年5月末、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で指揮されたR・シュトラウスの「アルプス交響曲」は出色の出来で、オペラ指揮の経験が生きていると思いました。
「シュトラウスのオペラを指揮するようになって、彼の管弦楽作品との付き合いも変わりました。それはオーケストラにとっても同じだと思います。名古屋フィルの常任指揮者だった時期(2003-06年)、歌劇『ばらの騎士』の演奏会形式上演を経て、交響詩『英雄の生涯』に挑んだら、オーケストラのサウンドが一変しました。シュトラウスの交響詩では、一つ一つの細かい旋律がオペラの登場人物の対話のように繊細に絡み合いますし、明るい旋律の背後に哀しみ、諦念といったものがふと垣間見える瞬間などがあります。これらは彼のオペラを体験すること無くして、自然に表現するのは難しいと思いました。本当は日本フィル正指揮者の間(2003-08年)にも、シュトラウスのオペラの演奏会形式上演を実現したかったのですが、規模の大きい作品が多くて断念したのです。日本国内では日本人指揮者に対し、なかなか歌劇指揮の機会自体が与えられない現状の中、2シーズンの間に3作ものシュトラウス歌劇の舞台上演が指揮できることは、奇跡に近い幸運でしょう」

─オスカー・ワイルド原作のドイツ語訳による『サロメ』、文豪フーゴー・フォン・ホフマンスタールとの共同作業が頂点に達した『ばらの騎士』に対し、『カプリッチョ』はホフマンスタール死後、リブレッティストに恵まれなかったシュトラウスが指揮者クレメンス・クラウスと2人で台本を書いた晩年(1941年)の作品という違いがあります。
「音楽の書き方(書法)も『サロメ』『ばらの騎士』と『カプリッチョ』では全く異なります。『カプリッチョ』は《オーボエ協奏曲》《4つの最後の歌》など他の晩年の名作に似た、素朴な味わい。いつものシュトラウスの語りくちでありつつ、おじいさんが〝僕も昔は凄い曲をいっぱい作曲したんだよ〟と振り返り、そのエキスだけで音楽を書いたような感じ。ある部分は味わい深いし、ある部分ではリラックスしています。物語は劇場支配人も出てきたりして、いわゆる〝楽屋もの〟ですが、音楽と言葉のどちらが大事か、人気の演目とそうでないもののバランスをどう取るかなど、現代のオペラ界でも葛藤の続く、まさに現在、びわ湖ホールでも悩んでいるようなテーマが続出します。ヨーロッパでの上演頻度も高いとは言えず、私もケルン、ビーレフェルトで観たくらいです。客席からの印象に派手なところがない分、アンサンブルに磨きをかけ、味わいを出さなければならない点でも簡単に上演できる作品ではない、と肝に銘じて取りかかります」

─最近ではニューヨークのメトロポリタン歌劇場の2008/09シーズン開幕にソプラノのルネ・フレミングが『ラ・トラヴィアータ』『マノン』『カプリッチョ』のヒロインを1晩で描き分け、話題を呼びました。二期会公演でグレーフィン(伯爵令嬢)マドレーヌを演じる2人のプリマドンナ、佐々木典子さん、釜洞祐子さんはともにドイツ語圏での活躍が長く、シュトラウス作品の演奏経験も豊富です。佐々木さんは2004年、東京オペラプロデュースが行った『カプリッチョ』のドイツ語による日本初演でもグレーフィンを演じたほか、釜洞さんとお2人では2007年二期会の『ダフネ』日本初演の題名役も務めました。今回の二期会の『カプリッチョ』の配役についても一言、お願いします。
「配役も自分が手がけるびわ湖ホールと違い、二期会におまかせではありましたが、ドイツ語の巧みな歌手が多く、日本におけるベストキャストでしょう。特にこの作品の経験者がいるのは心強いです。びわ湖制作の『ばらの騎士』も『サロメ』も、経験者にキャストに入っていただいたことで、自然に舞台に深みが出たと思いますし、初役の人たちも稽古のペースがつかみやすくなりました。日本で珍しい作品を取り上げると、どうしても全員が初役ということになりがちなので、その辺がヨーロッパに比べてハンディになることが多いのです。蝶々さん、ヴィオレッタなどを別として、日本の歌手が一生に何度も演じられる役は限られるのが現状ですから。二期会『ばらの騎士』は2003年のクレーマー演出の時が邦人上演によるものとしてほぼ半世紀ぶりだったし、『ダフネ』『真夏の夜の夢』などが再演される確率は一段と低い。ちなみに今年10月、びわ湖ホールで公演する『ルル』でも、2003年の日生劇場のキャストを踏襲するだけでなく、演出も同じ佐藤信さんにお願いし、完成度をさらに高めるつもりです」

─『カプリッチョ』の演出家、ジョエル・ローウェルスさんとは初顔合わせですね。
「昨年2月、ローウェルスさんが二期会で演出した『ワルキューレ』(ワーグナー)を拝見し、非常に手堅いとの印象を受けており、日本での共同作業を楽しみにしています。これまでは栗山昌良さん、鈴木敬介さんら、大御所とのお仕事が多かったのですが、最近は『サロメ』でのカロリーネ・グルーバーさん、今回のローウェルスさんと、ほぼ同世代の演出家との仕事が続き、また別の喜びを覚えています。びわ湖ホール、神奈川県民ホール・東京二期会の共同制作第2弾として今年上演したプッチーニの『トゥーランドット』でも、演出は若手の粟國淳さんにお願いして大成功を収めました。日本では若い演出家の登竜門としての中劇場、小劇場の公演があまりなく、たまにあっても、予算までもが小規模のために腕を振るえないのが実情です。なかなか次世代の演出家が日本から育って来ないのは、オペラ界の構造的問題もあると思っています。今回のローウェルスさんの舞台が、日本の若い演出家にも良い刺激を与えてくれると良いですね。びわ湖ホール、神奈川県民ホールの共同制作は次回、ホモキ演出を再びドイツから持ち込み、プッチーニの『ラ・ボエーム』を上演します。無駄をそぎ落とし、繊細な動きを志向したホモキさんの手法が日本人のスタイルに合うことは『ばらの騎士』で立証済みで、イタリア歌劇のステレオタイプなイメージとは異なりつつも、音楽的、演劇的に説得力のある舞台を日本人キャストだけで創造することが可能と確信しています。新国立劇場でもオール日本人による上演機会は日本語作品か〝高校生のためのオペラ鑑賞教室〟くらいに限られていますが、日本人のカヴァー・キャストがいるのですから、国際キャストの日よりも入場料を安くするなどして日本人キャストの公演日を設け、地方の劇場にも売り込んだりすべきでしょう。もちろんその時は日本人指揮者の起用もお忘れなく、と言いたいですね(笑)」
─ありがとうございました。
沼尻竜典 (ぬまじり りゅうすけ)
◎東京生まれ。桐朋学園大学において、指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、作曲を三善晃、ピアノを徳丸聡子、藤井一興の各氏に師事。08年4月より大阪センチュリー交響楽団首席客演指揮者。91年第1回「出光音楽賞」、99年第7回「渡邉曉雄音楽基金音楽賞」、01年第51回「芸術選奨文部科学大臣新人賞」、04年第3回齋藤秀雄メモリアル基金賞、05年第46回毎日芸術賞、第23回中島健蔵音楽賞をそれぞれ受賞。