METライブビューイング『サムソンとデリラ』より。4月には東京・東劇他、日本全国でガーシュウィン『ポーギーとべス(新演出)』&ヘンデル『アグリッピーナ(MET初演/新演出)』を上映。
©Ken Howard/ Metropolitan Opera
オペラのアリアは疑いようなく「世にも美しいもの」の1つ。耽美的でさえある旋律の美しさに勝るものって、そもそもこの世にあるのかと思うほど。そうしたアリアに魅せられてオペラファンになった人も少なくないはずだ。私自身、『サムソンとデリラ』の〈あなたの声に私の心も開く〉の凄艶にして高貴な美しさに圧倒され、『ノルマ』の〈清らかな女神よ〉の神々しさに衝撃を受けてオペラを観るようになっていた。
人はなぜかくも美しいものに惹かれるか?改めて問うならそれは、幸福感に溺れる悦楽を得られるから。例えば、絶景とオペラはとてもよく似ていて、美しい景色はずっと見ていたいし、何度でも繰り返し見たい。美しいのを重々知っていて何度も足を運んでいく。オペラの同じ演目に何度も通うのも同じ、どれだけの至福に浸れるかを知っているから。とりわけ、アリアがもたらす愉悦には何度でも溺れたいという欲望があるからだ。
そう、アリアには一種の魔力がある。そこに立ち会えば、間違いなく異次元の美に浸り切り、自分の中で何かが覚醒する。医学的に言えば、美しい音楽を聴くと脳の「視床下部」から「前頭前野」の領域までつながる特定の神経が刺激されるが、特にクラシックの複雑な感情表現のような濃密緻密な情報を高度な認識能力によって処理すると、快感ホルモン“ドーパミン”が分泌されると同時に、「難解なものを克服した」という達成感と報酬効果が生まれるのだという。だから理屈抜きに「今まで生きていて良かった」というほどの感動を覚えるのだ。言い換えれば、いわゆる「ランナーズ・ハイ」の多幸感にも似た心地よい興奮状態が、押し寄せる。
しかもこの神経には、無限に快感を運び、聴くたびに脳を歓喜させる働きがあるという。そんな素晴らしい効能を凝縮させるのがアリアだと言ってもいい。ましてやアリアは、すべからく愛を歌う。プロの歌唱による音の運びの美しさは毎回聴き手の予想を超えてくる。これらすべてが複合的に感動に結びつくと言うメカニズム。「サムソン、サムソン」と歌うデリラの誘惑は、だから罪深いほど美しく、感動が寄せては返す。これぞまさに、アリアの奇跡である。