TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

齋藤薫 美女になるオペラ
Vol.5

オペラの舞台から立ち上がる、芳しき香りの正体

2017年東京二期会公演『蝶々夫人』より(演出:栗山昌良)。
©三枝近志

 オペラの舞台には、いつも香りを感じる。コンサートにはない香りを。盛装した観客たちの香水?いややはり、舞台からそこはかとなく立ちのぼるのだ、とても仄かだけれど官能的な香りが。椿姫はもちろん、トスカやカルメン、マノン・レスコーと、ヒロインが愛に生き、愛のために死んでいくオペラほど芳しいのである。
 そういう意味でも香りが最も強いのは、蝶々夫人だろう。いかなる演出にも共通するエキゾチックな強い化粧と、それ自体がもうなまめかしい和服のせいなのかもしれない。ましてや情念のような愛の訴えは、おそらく日本人の私たちにはさらなる熱量を持って届くはずで、それが香りに思えるのだろうか。目と耳と魂を奪う舞台は、時に五感への美しい錯覚をもたらすと言うから、たとえそこに香りがなくても香りを感じてしまうのだろう。
 その時、香るのが実は「ミツコ」。香りの名門ゲランの傑作である。後に否定されたが、実在の人物であるクーデンホーフ伯爵夫人“光子”が香りのモデルであるとの噂も流れた。ヨーロッパの伯爵家に日本女性が嫁ぐなどあり得なかった時代、それこそ蝶々夫人のような“日本人妻”に過ぎないとの誹謗中傷から逃れるように生涯ヨーロッパに暮らす。
 しかしミツコの本当のモデルは、『ラ・バタイユ』という小説の主人公。日本海軍の軍人の妻にして、若い英国人将校と恋に落ち、しかし悲恋に終わるミツコ……。どちらにせよ、蝶々夫人を思わせる“強さとけなげさ”を併せ持つ誇り高き日本女性だった。香りのミツコも、シプレ系の名香としてたおやかさに力強さを融合させたような香りだが、1970年代のミツコの広告が、まさに蝶々夫人の世界をそのままに描いたようなものだったからか、どこかで三人の日本女性が絡み合ってしまう。それが、香りの錯覚を呼び込むのかもしれない。どうしても、蝶々夫人にはミツコが香るのだ。
 愛に命を捧げた美しくも悲しい女の業が、白い炎を静かに揺らめかせるような蝶々夫人の舞台から、そういう気配のような香りが湧き上がっても何ら不思議ではない。ぜひ体験したい。香りが香るオペラの舞台を!

齋藤薫(さいとう かおる)

女性誌において多数の連載エッセイを持ち、読者層から絶大な支持を誇るカリスマ美容ジャーナリスト、エッセイスト。
『大人の女よ!もっと攻めなさい』(集英社インターナショナル)、『されど男は愛おしい』『あなたには“躾”があるか?』(講談社)、『一生美人学』(朝日新聞出版)、など著書多数。実は、大のオペラ・クラシック音楽ファンでもある。