『タンホイザー』第三幕〈巡礼の合唱〉のシーン。フランス国立ラン歌劇場の舞台より。
©Alain Kaiser
近頃気になるのが、カウンターテナーやソプラニスタの歌声。現代最高のメゾソプラノ、チェチーリア・バルトリが18世紀のカストラートのために描かれた禁断のアリアを歌うのは有名だが、その強烈な個性と超絶技巧に触れて以来、類い希な声の魔性に囚われてしまったのだ。女性の声の高さと男性の声の力強さ、さらには想像を超える発声コントロールを併せ持つ声……人の声の深遠な世界に引き込まれると同時に、〝声と性〟の抜き差しならない関係にも新しい興味を持つようになっていた。当時のスター、ファリネッリの歌声には失神する女性が続出したとか。声の高低にかかわらず、声には強烈なフェロモンが宿っていると思わざるを得ない。
ソプラノとテノールが恋をして、メゾソプラノやバスが嫉妬し邪魔をする。かと思うと、ソプラノとメゾソプラノが危うい関係に……。まさに声も恋をし恋される。そう考えるともう、声とフェロモンを切り離して考えることなどできなくなるのだ。事実、男も女も異性の声に恋をすることってあるわけで、オペラ歌手に熱狂するのも、才能の虜になるばかりじゃない、声が持つ官能が波動のように心を捉え、胸震わせる結果なのだろう。つまりそれは、恋に近い感情なのだ。
私自身も男声合唱が好きで『タンホイザー』の〈巡礼の合唱〉に胸ときめかせ、『魔弾の射手』の狩人の合唱に惚れ惚れし、『ファウスト』の兵士たちの歌にうっとりし、と男声がもたらす陶酔に、ある種の恋愛感情を呼び起こす不思議な力を感じていた。ひょっとするとオペラに心酔して耳からもキレイになる人は、恋をしてキレイになったと言われる人と同じ身体状態にあるのかもしれない。
恋愛によって分泌される恋愛ホルモンとも言うべき脳内物質は、明らかに肌を輝かせ、瞳をキラキラさせる。同じ効果が得られても不思議ではないほど、オペラのアリアはそっくり愛のダイアローグ。声がもたらす奇跡の法悦に身を委ねることこそ、オペラの醍醐味なのではないだろうか。