TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

齋藤薫 美女になるオペラ
Vol.3

オペラと現世のはざまを生きた女神の存在を、決して忘れてはいけない

59年7月コンセルトヘボウでの演奏会。左は指揮者ニコラ・レシーニョ

 「歌いさえすれば、みんな私のことを好きになってくれる」
 歌手としては当然の、何気ない言葉なのに、その人の人生を知るほどに一つの叫びにも思えてくる。そう、マリア・カラスほどに愛され熱狂され、それでも愛に飢えていた人はいなかったから。
 オペラ史には、「カラス以前カラス以降」と言う表現がある。この人の出現が、衰退しかけていたオペラに再び命を吹き込み、空前のオペラブームを呼び込んだからである。それも、悪声とされるほど強靭で濃厚な倍音のソプラノが、いかなる高音も突き刺すように発声し、そこに感情をぶつけてくる圧倒的な歌唱。舞台女優以上と称えられた鬼気迫る演技。そして100キロ以上あった体重をたった一年で50キロ落として、孵化するが如く生まれた完全無欠の豪奢な美貌。まさにオペラの女神、降臨だったのだ。
 今考えれば、だからこそ真っ当な女の人生は与えられず、また天才の生涯も許されず、奇しくも有名オペラのヒロインと酷似する人生を強いられた。全盛期もスキャンダルに苦しみ、初めて愛した海運王オナシスがジャクリーン・ケネディと結婚してしまう悲劇に見舞われ、声を酷使した歌への情熱はもちろん、それをも上回るほどの愛への執着が引退を早めた。
 まさしくノルマのように裏切られ、ルチアのように狂乱し、蝶々夫人のような最期を遂げる。それは、“絶対歌姫”と呼ばれたこの人に課せられた運命だったのだろう。だから誰もこの人の存在を忘れることができないのだ。
 もしカラスが現れなかったら、オペラ界は今とはもっと違うものになっていたかもしれないと考えると、この女神を讃え続けるのは、オペラファンの一つの使命のような気もする。定期的にこの人の人生を綴るドキュメンタリー映画が作られるのも、単なる巧拙を超え、理屈も超えた神々しいまでの歌声と美貌を忘れぬため。一つの真髄として心に刻み付けておくべきなのである。

齋藤薫(さいとう かおる)

女性誌において多数の連載エッセイを持ち、読者層から絶大な支持を誇るカリスマ美容ジャーナリスト、エッセイスト。
『されど男は愛おしい』『あなたには“躾”があるか?』『ちょっと過激な幸福論』(講談社)、『一生美人学』(朝日新聞出版)、など著書多数。実は、大のオペラ・クラシック音楽ファンでもある。